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地鎮祭。

2012.06.03
6月3日(日)
今日は、大安吉日でした。
天気も、午前中はうす曇りで、暑くもなくだったので、
絶好の地鎮祭日より。
僕が独立してから、7件目の地鎮祭
いつまでたっても、緊張し身の引き締まる思いになります。

地鎮祭とともに、
神主さんからは、
日本人の成立ちというか歴史?
日本人にとって神とは、どういうものか?
われわれ日本人はどこからきたのか?
私たち、阿波の一族、忌部のことについてなど、
非常に、興味深いお話をじっくりしていただき、
1時間ほどで、無事に滞りなく地鎮祭を終えることができました。
そして、そのあとお施主様と、
建物の配置や高さ関係の打ち合わせを、
しっかりとすり合わせしました。
ここが、すべての基準になりますので、
きっちりと確認することが大事です。
さあ、いよいよ始まります。

鎮め物
「地鎮祭とき、土地の神を鎮めるために地中に埋めるもの。」
実際には、基礎工事の時に、地中に埋めるのが一般的だと思います。
神主さんのお話の中で、日本人にとって、神とはどういうものか?
最近よく話していただけるのですが、
日本以外での神様は、
万能の神、全てのことができる絶対神であるのに対して、
日本人の考え方は、全てのものにひとつだけ秀でたものがあり、
石、土地、草木など、全てのものの親(先祖)を神として、
崇めていきた。
全てのものの今が存在するのならば、マグマ、
地球、宇宙のガス、そういうものから生まれている。
だから、すべてのものには親があり、そして神になるのだと。
そして、私たちも神(親・先祖)から生まれた、
神の子だということを忘れてはいけない。
そして、万能なものではないのだから、
「一人ではなにもできない」
だから、家族をつくり、仲間をつくり、
助け合って生きてきた。
これは、人だけではなく、自然や動物全てのものと共存してきた
ということだと。
それが、日本人にとっての神にたいする考え方。
日本人は、かつては、
大和人と呼ばれていたそうで、
この言葉が、今では沖縄にしか残っていないそうです。
沖縄の人たちのことを
島人(しまんちゅ)
我々、本土のひとたちのことを
大和人(やまとんちゅ)
と、沖縄の人たちは、今でも呼んでるそうです。
今、世界もそうですが、
身近な日本の社会で、問題になっていること、
全てに対して、
もう一度、
「一人ではなにもできない。助け合って生きていく。」
この、われわれ大和人が持っていた精神を、
見直すべきではないかと思います。
昔の暮らしに戻れというのではなく、
今の暮らしのなかで、人間中心ではなく、
「全てのものと共存していく。」
これが、答えだと思います。
その中で、家づくりを通して、
お手伝いしていきたい。

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